
8月6日(水)午後、因幡薬師 平等寺(京都市下京区)で「第62回小中学生記者の文化財取材コンクール」(京都市立中学校新聞教育NIE研究会、市小学校NIE実践研究会、京都古文化保存協会、京都新聞主催)の取材活動がありました。
このコンクールは、次代を担う子どもたちを対象に、京都の文化財への関心を高め、保護しようとする態度を養うことを目的に、長年にわたり実施されています。
本校からも4人の生徒が参加しました。
今回の取材テーマは、「空飛ぶ仏様、因幡薬師の伝説」。生徒たちは、平安時代に今の鳥取県にあたる因幡の国から帰京した橘行平を追って飛んできたといわれる薬師如来像(重要文化財)が安置されている収蔵庫を見学し、その由来などを取材しました。
また、本堂の仏像がある裏側には、木製の手動の昇降機があり、火災のときは、この装置を動かし、仏像を移動させ、本堂裏の井戸に沈めるというエピソード聞きました。
今の本堂は明治期に再建されたものですが、平安時代から何度も火災に遭い、その度に京の町衆によって、ご本尊が1000年以上守られてきたそうです。
生徒たちは、住職や寺の関係者の方から聞いたことを熱心にメモし、写真を撮るなどしていました。
また、今回の取材テーマではありませんでしたが、時の高倉天皇の寵愛を受けた小督の局の黒髪が織り込まれた光明真言の経文もガラスケースに納められ、収蔵庫に置かれていました。平清盛の娘、徳子(建礼門院)が高倉天皇の正室だったのですが、徳子よりも早くに出産した小督の局に清盛は激怒し、小督の局を出家させます。そのとき剃髪した髪を梵字に織り込んだとのことで、布の端から毛髪のきれがのぞいていました。
また、徳子が産んだ安徳天皇がその後即位し、平家は栄華を極めるものの、はかなく滅んでしまいます。
千年前の京の都で起こった人々の栄枯盛衰。平安時代から今に至るまで、千年の歴史をひっそりと見つめてきたこの経文にも、なんともいわれぬ感懐を抱きました。
本校がある京都は平安時代に都が置かれ、それ以降、由緒ある寺や建物、それにちなむ多くの文化財が現存しています。生徒たちがこれらの文化財に触れ、その価値を認識し、次代に継承していってくれることを願います。
