6月27日~30日の4日間で,長崎県・熊本県方面へ修学旅行に行きました。1日目には,長崎平和公園や原爆資料館で平和学習をおこない,資料を真剣に読み込む姿が印象的でした。2日目は長崎市内自主研修とペーロン体験です。梅雨明けとなり猛暑との闘いでしたが,本校生徒が活動する様子が長崎新聞・NHK長崎で取り上げられました。3日目は熊本城見学と震災学習のあと,阿蘇草千里で学年写真を撮りました。最終日はパラグライダーなど体験活動をおこないました。
旅行の様子を生徒作文で紹介します。
●3泊4日の修学旅行では,色々なことを体験し,たくさん感動した。京都では見られないような景色が長崎と熊本にはたくさんあり,普段考えないことも考え,良い学びになった。
班別市内研修では,自分たちが事前に行きたい場所や計画していた事をすることができ,とても楽しかった。新地中華街でお昼ご飯の他にも,角煮などを食べる予定をしていたが,中華街のお店の半分以上が定休日でしまっていた。めがね橋で,ハートの石を探していると,風が吹いて,ある人の日傘が川に落ち,流されてしまった。ハプニングもいろいろあったけれど,長崎市の歴史や有名なお菓子などを知ることができて,とてもたのしい時間だった。計画していた場所には行けたけれど,もっとゆっくりじっくり街並みを見たりしたかった。長崎市内を歩き,階段が多いと感じた。事前に坂の町だということは知っていたが,予想していたよりも多かった。
長崎では他にも,平和と原爆について知るために資料館に行った。修学旅行前に事前学習で,原爆の事をある程度知った上で,資料館へ行った。資料館には,脚の曲がった給水タンクや時計,お弁当などが展示されていた。見ているだけでも,原爆の破壊力や恐ろしさに衝撃をうけた。外側は普通の見た目をしているのに,中には真っ黒の粉が入っているお弁当,十一時二分を指して止まっている時計など,当時のまま保管されているため,時が当時のまま止まっているように感じた。他にも,絵の展示もされていた。細かく描かれている絵や簡単に描かれている絵など,さまざまだった。絵からも,当時の人々の生活などの苦しみや訴えが伝わってきて,強く印象に残った。
戦争を経験した方の高齢化がすすみ,語り手が減っていることが問題視されている今だが,原爆の恐ろしさや被爆した人の無念さは,絶対に次の世代へ伝えていかなければいけない。今,この世界に生きている自分たちに何ができるのか。それは,原爆や戦争について,自分自身の意見を持つことだと考えます。そして,自分の意見を持つためには,原爆や戦争について,しっかり知る必要がある。今や僕たちは,スマホやタブレットで簡単に情報を得ることができる。また,核や平和の問題には色々なアプローチの仕方があると思う。例えば,自分が好きなスポーツや音楽,アートなど身近なところからの切り口である。僕たちにできることはたくさんある。だから今回,資料館で感じたことを原点とし,平和を考える日本人の一人になっていきたい。
●衝撃だった。ただその一言に尽きると思う。
修学旅行一日目,私たちは長崎の原爆資料館を訪れた。そこで目にしたもの,知ったこと,そのすべてが信じられないようなことばかりだった。学校でも動画や写真を見たりするなど事前学習はしていたつもりだったが,甘かったと思う。一番心に残っているのはやはり展示されていた被爆当時の写真だ。学校で見たものなどまだかわいいほうで,現実をそのまま映した生々しく痛々しい沢山の写真は「原爆」というものをありのまま伝えていると感じた。無残に転がる頭蓋骨,熱風で吹き飛ばされ焼け焦げた死体,絶望する女性,大きな火傷を負った体,崩壊した建物の瓦礫と地面に落ちている,自分と同じように生きていた「人」だったもの。長崎でしか見ることのできないそれらの写真は,戦争のない今を生きる私にとっては大きすぎるほどの衝撃だった。本当にそんな出来事があったのか,本当にその時代を生きた人がいたのか,写真を見れば見るほど現実味がないように感じて,でも事実であることは変わらなくて,そんな言葉にしたくてもできないようなもどかしい思いが自分の中に今もずっとある。
衝撃を受けたといえば,四日目に大観峰から見た阿蘇の風景も心に残った。どこまでも続く緑のなだらかな外輪山,規則正しく区分けられた水田,広い草原,ところどころに岩がのぞく高い山。幸いにも天気に恵まれた中,綺麗としか言いようのないそれを一望できたことは本当にいい思い出になった。自分たちがカルデラの中にいることが噓に感じられるほど,ただひたすらに言葉が出なくなるような美しい景色が広がっていて,それがとても不思議だった。
●私たちは3泊4日で長崎と熊本方面へ修学旅行に行った。原爆資料館に行ったり,長崎市内を巡ったり,熊本城を訪れたりと,様々な経験をした。その中で特に印象的だった三つのことについて述べようと思う。
一つ目は初日に行った原爆資料館についてである。資料館の中には当時原爆が落とされた現場に実際にあった一九四五年八月九日午前十一時二分のまま針が止まっている時計や,原爆の威力をあらわした街の模型,そして実際の被爆者の傷跡の写真などが展示されていた。それらを見て私はとても大きな衝撃を覚えた。そこに展示されていたものは想像を絶するものであり,今まではなんとなく知っていただけだったが,深く知ることで,当時の悲惨な現状を知ることができた。戦争の愚かさを改めて感じ,世界平和の大切さも痛感した。
二つ目は二日目におこなったペーロン体験についてである。ペーロン競漕とは長崎の伝統行事であり,数十人が船を一斉に漕ぎ,速さを競うものである。最初は全員漕ぐタイミングがバラバラで息が全く合わなかったが,時がたつにつれて,みんなが太鼓に合わせて声をあげ,漕ぐリズムを合わせることができるようになった。そして一人一人がゴールを目指して必死に漕いだ。最終的に一位はとれなかったが,このペーロン体験を通じて,よりクラスとの絆が深まり,団結力も高まったと思う。
三つ目は三日目に訪れた熊本城の震災学習についてである。熊本では二〇十六年四月十四日と十六日に震度7の大きな地震が発生した。それによって熊本城も大きな被害を受け,一部が倒壊,破損,そして崩落した。その被害について私たちは学び,実際に熊本城をガイドさんと一緒に回って,破損した城などを見学した。その中で特に印象的だったのは「奇跡の一本石垣」だった。飯田丸の南西隅にあった櫓,飯田丸五階櫓は熊本地震により石垣が崩れるなど大きな被害を受けたが,その状況で,一本の石垣だけが崩れずにそのまま残り,上の櫓を支えている。それを実際に見てとても感動し,たった一本だが,崩れずに耐えた熊本城の底力,熊本県民の底力を見た気がした。この一本はどれほど被災した人々の心の支えになったであろう,と思う。
この修学旅行でたくさんの楽しく,かけがえのない思い出ができた。それと同時に原爆資料館で学んだことや熊本の震災学習などで,命の大切さ,そして平和の大切さも感じた。この3泊4日の修学旅行で学んだことを,これからの生活でも活かしていきたい。
●私は総務としてこの修学旅行に行った。そのため,全体のことを見たり,指示したりすることが多かった。部屋長としては,先生からの連絡事項を的確に部屋のメンバーに伝えなければならなかった。私は人が話している途中に違うことを考えてしまうことが多く,初めは連絡事項を聞き逃すこともあった。しかし,修学旅行後半には,最初から最後まで集中して話を聞き,部屋のメンバーに確実に連絡事項を伝えることができたと思う。また,部屋長になったことで,まとめる立場にいることの責任を感じることができた。自分以外の部屋のメンバーが遅くまで起きていても,怒られるのは部屋長。それが責任ある立場に立つことなのかなと,少しわかったような気がした。
しかし私はそういった立場にあったにもかかわらず,体調管理ができておらず,一日目の夜に体調を崩してしまった。その日の夜は先生方に負担をかけたし,二日目も病院に連れて行ってもらい,たくさん迷惑をかけてしまった。また,部屋のメンバーは朝食を部屋で食べることになり,市内研修への参加も途中からになってしまった。しかし,部屋のメンバーは全然大丈夫だと言ってくれた。むしろホテルでゆっくりできたからよかった,と。私は同じ学年にこんなにも優しい人たちがいて,本当に良かったと思った。
また,クラスメイトの新たな一面を見ることもできた。朝が苦手だったり,意外によく食べたりと,普段の学校生活ではわからないようなことを知れた。同時に,先生方に対して,私が勘違いをしていたことにも気づけた。怖いと思っていた先生が本当は優しかったり,話しにくいと思っていた先生も,実際話してみるとそんなことなかったりと,授業を受けているだけではわからない部分を知ることができて嬉しかった。残りの中学校生活でも,いろんな人の新たな一面を知れたらいいなと思う。
修学旅行から帰ってきて,総括をしているときに,修学旅行に行く上で大切なことに気がついた。それは感謝を伝えることだ。修学旅行は一部の人が頑張ったり,先生方だけが頑張ったりしても良いものにはならないと思う。やはり,全員が協力してつくりあげるからこそ,本当に良い修学旅行になるんだと思う。また,生徒や先生方に加え,添乗員さんに,バスガイドさんやドライバーさん,ホテルの方々など,たくさんの人の存在があったからこそ成立した修学旅行。支えてくださったたくさんの人たちに感謝の気持ちを持つことができれば,自分自身も誰かの助けになることができると思う。しかし,心の中だけで感謝をしていても,相手には伝わらない。感謝は言葉にして初めて伝わるものだ。私は修学旅行の中で,多くの人が感謝の気持ちを言葉にしていると感じた。今後修学旅行に行く後輩たちには,このような感謝を伝えられる集団になってほしいと思う。また,感謝を伝えることはどの場面でも大切なことだ。だから,卒業までに全員がもっと居心地が良いと思える集団を目指したい。
●今回初めて行くことのできた,宿泊学習,修学旅行で,いろいろなことを体験し,学習させてもらった。
一日目は,新幹線にのり,みんな,初めての宿泊学習に胸を膨らませながら,九州に向かった。一日目の主となる学習は,平和学習である。僕は,広島にも長崎にも行ったことがなく,原子爆弾の怖さを,自分の目で見て,学ぶのは,初めての体験だった。事前学習で,原爆のことは,少し知っていたが,実際にその場に行ってみると,当時の写真などが,おいてあり,原爆の恐ろしさを物語っていた。そこで何を学び,感じ,考えたのかは,人それぞれだが,僕は,僕たちがまだ生まれていないときに,本当に,この日本という国で,ありえないほどの,悲惨な出来事が起きていたという事実に驚いた。
二日目は,長崎市内を班員で回り,そのあと,ペーロン体験を行った。自分たちが全く知らない場所で班員と協力しながら,より楽しめるように,予定を考えた時間も楽しかったし,実際に回るのはとても楽しかった。特に,眼鏡橋あたりを,気楽に歩き,長崎の町に触れることができたのはとても有意義な時間だった。そのあとは,クラスで協力して,ペーロンをこぐことができた。なかなかできない体験を,クラスみんなでできたというだけで,とても楽しかったし,学年で競い合うのは,とても白熱した。そして,夜,日本三大夜景である,長崎の夜景を,部屋を真っ暗にしてみ見ようということになった。その夜景は,光の一つ一つがきれいに光って,言葉にならないようなきれいさだった。その上で,真っ暗な,空に,蒼然と光っている月が,僕は一番きれいだったと思う。
三日目は,熊本に訪れ,震災の恐ろしさを学んだ。そして,熊本地震で崩れてしまったはずなのに,とても立派な姿をしていた熊本城に圧倒された。
四日目は,阿蘇山を登った。想像以上の険しい道を登り終えると,待っていたのは,その大変さを吹き飛ばすような,長崎の夜景とは,またちがう,大自然の景色が広がっていた。登山が終わった後,僕たちは無事,京都に,全員で帰ってくることができた。中学校生活で最高の思い出だ。
これほどまで,いい思い出になったのは,修学旅行前の準備があったからだと思う。修学旅行実行委員会,しおり委員会,美化・生活委員会,学習委員会,レクリエーション委員会に,全員が所属し,全委員会が最高のものを作り上げた。しおり委員会は,現地でもとても役立つ,しおりを,美化・生活委員会は,全員が納得できるような,規則を,学習委員会は,現地での学びがより深まるように,事前学習を,レクリエーション委員会は,バス,ホテルのレクで,修学旅行が,より楽しいものになるよう,準備してくれた。そして,実行委員会は,全体をまとめ上げることができた。誰か一人でも欠ければ,この修学旅行は,最高のものになっておらず,この学年だったからこそ,楽しむことができた。何度も何度も,思うが,やはり,この修学旅行は,最高の思い出だ。 |